第二次世界大戦を米国の視点から考察している一冊。日本人の生存者にもインタビューしており、日本人からの視点も含まれている。

今更ながら、神風の虚しさが感じられる。死ぬために飛び立つこともさることながら、多くの神風が敵艦に到達する前に撃ち落とされている。明らかに、飛び立つうちの何機かがあたれば良いという考えとしか思えない。

この本は、そんな特攻隊員が米空母バンカーヒルに激突、その艦内での惨事を詳しく書いている。米国としては、やられるはずの無いほど、日本を圧倒しており、予想外の攻撃であった。

米パイロットの言葉が、いかに末期の戦いが無意味で、日本にとって勝ち目が無いかを物語っているし、特攻の凄まじい結果も物語っている。

第二次世界大戦のような戦争に何か「やり方」というのがあるとすれば、飛行隊の一員にとなって空母に乗るのが一番だと思う。

我々は攻撃しても、その損害を見なくてすんだ。苦しむ人も、負傷者も、そして死人も、全く目にしなかった。自分たちが大勢の人を越した事はわかっていた。一般市民のいる場所に爆弾を落としたのだから、ある意味では大量殺人を行ったと言われても仕方ないのかもしれない。だが、我々はその結果を見る事は無かった。

惨事を目にする事無く帰還して、熱いシャワーを浴び、身につけるのは清潔な服。祖から暖かい食事。まさに「戦争の快適なやり方」だ。神風攻撃を受けて、あの大惨事を経験するまでは、殺戮の様子なんて見た事も無かった。あれほどの死や壊滅的被害の覚悟ができていたものなど、あの空母にはひとりもいなかった。

神風の精神は武士道につながるという。本当だろうか。武士道の解釈を変えてそのようにしているとしか思えない。戦争を終わらせるシナリオがない状況では、神風で死ぬか、或は無意味に敵陣に手榴弾を持って突入するか、手段が異なるだけで、死に向かわざるを得ない事には変わりはない。やはり、なぜ早い段階で降伏ができなかったのかが問題となるのだろうが、植民地にされることの恐怖がよほど大きかったのだろうか。この事に本書は言及してはいない。

特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ-米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実